かごんまおごじょの気ままなblog

隠れたアイデンティティに再開した日

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先日故郷に帰ったとき。

私は人生で初めて私以外のCODAとお話をしました。

 

とても不思議な感覚でした。

 

  • 親から「この日本語どう?」と日本語の訂正を頼まれる。
  • 幼いときから電話応対をする。
  • なにか決断をするときは、事後報告。

など、なかなか周りの友達とは分かち合えないような

幼少期の体験をわかってくれている人がいる。

 

NPOへの突撃訪問

 

そして、そのままの勢いでその方が働いている

NPO団体の活動現場に訪問させていただきました‼‼

 

  1. 就労継続支援B型事業の一環として:ワッフル専門店

 とてもおしゃれで、店頭にできたてのワッフルが♡笑

批判されるのを覚悟でいうと、正直就労支援の施設とは

イメージが全く違っていました。

 

 2.放課後デイサービス

 

 聴覚障害のある子どもたちが、勉強を教えてもらったり

保護者が迎えに来てくれるまで遊んでいたり。

 

NPOの職員の方も、私の手話の能力に合わせて

口を動かして話してくれたり、手話を教えてくださったり。

また、手話の講師をされている方の手話は

なんというか「芸術的なきれいな手話」でした。

 

以前、書いたことがあるかわかりませんが、

私は手話を使っていると声がどんどんでなくなります。

(声を使って話さなくなる、というほうが正しいでしょうか)

声を出さず、手話で話していると

忘れていたもう一人の私が出てきたような

そんな気持ちになりました。

 

そして、なんといっても子どもたちの笑顔!

キラキラしていました。

子どもたちが楽しく学校にいくことができて、

きちんと情報を取り入れられるような環境を

提供していける社会を作りたいですね、と

職員の方と話しかたでした。

 

温かく対応してくださった職員の皆様に感謝です。

 

みなさんも、自分のアイデンティティと再開する、

そんな瞬間があればお聞かせください^^

 

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Reunion with my identity.

I saw a woman who are also CODA last week.

I was the first time for me to talk with a CODA.

 

We shared common experience as CODA

Like: correcting parents' Japanese, answering phone call,

report after we decide to do something etc.

 

After having lunch, she brought me to a waffle shop and 

After school care program, which are run by NPO the womam works at.

 

When I talked with staffs at after school care program,

sth interesting happen.

I gradually became voiceless.

I personaly think that this is one of the characteristics

hearing people who sign have.

 

At that time, I felt like I saw another myself

and felt safe.

 

Tell me if you have moment that reminds you of what you are.

 

 

 ※トップ画像:http://free-images.gatag.net/tag/twinsより

出過ぎた杭は打たれない現象起こしたい

日本は本当に「出る杭は打たれる」文化なのだな~と

思うことが多い私なのですが、

出過ぎた杭は打たれない現象を起こしてみたい

とほざいています。。。笑

※以下、おい社会人経験のないあなたが言うなよ

という視点があるのも知りつつ書きます。

 

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結果を見ないことにはわかりませんが、

私が期待している現象のきっかけになりうる

公教育についての面白い変革を見つけました。

www.ipros.jp

 

この記事に書かれている通り、こどもたちが”若手社員”に

なるのかどうかは別として・・

 

こどもたちが彼らの想像力を用いて学べる環境が

整えばいいな~と願っています。

 

懸念点①としては、

・評価方法

→基本教育は評価をしないといけないとなっているので

点数化が必要 = いい or 悪い 

の判断が下される。

→つまり、採点する側の裁量にかかっている・・・

※公教育なんだから、民間ができない創造的な部分

を鍛えられる要素を増やして、

塾などの民間に教科教育を任せてしまえばいいのに

と思っている私です。

 

どこの学校がとかではなく、

英語でもなんでも

教科書通り=100点な風潮が強い日本。

(特に九州だからとか、関係あるのか疑問なのですが。)

 

そんな空気の中でプログラミングを学べたとしても

そもそもの部分が変わらない限り意味がない。

 

懸念点②

・そもそも論的思考を日本社会が求めているのか?

記事の中に

論理的思考が身につくとか、

PDCAが早く回せるとか書いてありますが

日本社会が出る杭は打たれる文化のままであれば

そういう人材は外に流れてしまうのでは?という懸念です。

 

最近流行っている官民連携で、

現場で戦っているプログラマーを呼べたら

それが一番子どもたちにとって

社会とのギャップを埋めつつ、

学べる環境なのではないか?

 

大人になっていくにつれて、わかると思いますが

「若い時にもっとたくさんの大人の人と出会っておきたかった」

「こんな風に働いている人もいるんだな」

とか知りたくなかったですか?

そんな思いをする子どもたちを減らしたいですよね。

 

そして、こういう変化が起きたとき、

出過ぎた杭は打たれない現象が起きるのではと期待しています。

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"A nail that stands will be hammered down."

 

When I think of Japanese culture,this phrase comes up in my head.

I joined one campany as an internship for a month

and when I decided to leave there, a man from the company texed me and said

 

"we shoukd not express our opinions or feeling

untill we perfectly can do things to be asked "

 

I still don't understand why he gave me this message.

I could be a nice one but it doesn't make me feel happy.

I felt like he asked me to shut up and

it is better not to say anything to your boss till I can do other things perfectly

even though the boss is wrong.

 

I really hope this will change by the time my future kids grow up.lol

And I found a very little hope.

 

www.ipros.jp

 

This article says public elementaly schools need to introduce

 compulsory programing classes by 2020.

It sounds very amazing! but

what if current teachers need to study how to theach programing?

How they evaluate students?

 

It will be interestaing to see what will happen.

果たしてQOLって?

みなさんにとっての

QOL=Quality of Life クオリティ・オブ・ライフ

を高める手段・瞬間ってなんですか?

 

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私はとあるCMをみて、違和感を抱きました。


全国統一小学生テスト2016 CM動画15秒ver

 

完全に私自身のバイアスがかかっていますが・・・

父が仕事人間だった私は、

もしまだ幼いころにお父さんが

「映画をみないか?」といってくれたら

とても嬉しいと思うだろうな~と。

 

でも、学校の成績を上げたいから

その大切な時間を削るのを”偉い”という風潮には

ちょっと違和感を抱きます。

※もし、その子の夢を叶えるために必要なのだとしたらそれは結構。

それは"万人にとっての美学ではない"ことも

知っておく必要があるのではと思いました。

「学歴社会じゃないよ!」と言われだして

何年経っているのか・・・

九州でも東京でもまだ学歴社会なんだなと思う瞬間は多々あります。

 

私に子どもが生まれたら

・お父さんが帰ってくるまでに宿題とか勉強を終わらせる集中力をつける。

・その子にとって、QOLを満たすものが何か?を自分で考えさせる。

かな・・・と思いました。

 

ホリエモンも、著書「99%の会社はいらない」で

どんなことであっても、自分が楽しいと思えること、幸せだと感じることのために仕事をしているのであれば、それはQOLが高い言える。 

と言っています。

 

みなさんは何をすることでQOLが高まりますか?

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What makes your Quality of Life(QOL) better?

One CM in Japan brough up this question.

 


全国統一小学生テスト2016 CM動画15秒ver

I feel uncomfortable because the cm tells people

"it is wonderful that your child focus on study more than time with dad"

 

I would be very happy if my father say "why don't we watch a movie?"

when I was a kid becasuse my father was not home because he works so hard.

So, when I think seriously about QOL,

I don't put my study or work in order of my priority.

 

I live in sharehouse and foreign people visit and stay.

Most of them have job but they have long vacation,

which a very few Japanese people can get.

They also question me "Why Japanese peopel work too much?"

I always answer "because Japanese people have rarely asked what they think

or what they want to do and they think  it is not good

to express thier ideas or opinions" shich is sad but it is still true.

 

This cannot be changed so soon but

I hope more people can choose their own ways to make thier QOL better. 

安心の涙

先日、とても印象的な出会いがありました。

それは、テゲツー!寺子屋のゲストの成澤俊輔との出会いでした。

以下、成澤さんのプロフィールです!

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1985年佐賀県生まれ。網膜色素変性症という視覚を徐々に失う難病を抱えながらも、世界一明るい視覚障がい者として、2009年に独立。障がい者雇用に関する、コンサルティングやイベント企画で全国を飛び回る。2011年12月1日よりNPO法人FDAの事務局長に就任、2014年理事就任。就労困難者に就労に至るまでのトレーニング環境を提供している。一人でも多くの就労困難者を救うために奔走している。*1

 

トークイベントでは、障がい者のかたとどのように働いているのか

成澤さんがどのような志で働かれているのかなどを

お聞かせいただきました。

※内容はオフレコな部分もあるので伏せさせていただきます(汗)

 

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興味がある方は、脚注やテゲツー!寺子屋からとんで調べてみてください。

 

安心して泣くことってあるんだな・・・

 

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トークイベントの間、私は何度も涙をこらえていました。

(実際泣きましたが…笑)

でも、悲しいとかではなく。

 

それは、成澤さんが「大丈夫だよ。」と言い切っていたから。

「大丈夫?」と聞いてくる人は多くいる。

しかも大体が”大丈夫じゃない”という答えは期待していなくて。

 

「大丈夫」って言い切ってくれる人がいること。

こんなに心強く安心できる言葉はないんじゃないかと。

 

就職不安なんです。どうやって生きていけばいいんだろう・・・

そんな風に悩んでいる人たちにとって

「大丈夫?」ではなく、「大丈夫!一緒に頑張ろうぜ!」って言える人は

果たしてどのくらいいるんだろう。

 

ダイバーシティの意味

 

そして、もう一つ印象に残ったことが。

みなさんは、ダイバーシティってどういう意味だと思います?

多様性って訳する人が多いと思うのですが。

 

成澤さんは、ダイバーシティ=比べる相手がいないこと

とおっしゃっていました。

 

私は聞こえる人たちと自分自身(CODA)という立場で

比べることが多いなーと思っています。

成澤さんがいうダイバーシティの意味、

私にはちょっと難しくて、まだ消化しきれていないのですが

私の目指している社会にとても近いのかな?と思います。

 

このような機会をいただけたこと、感謝します!

この記事を読んでくれた方、ぜひテゲツー!も見てみてください^^

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I met a man who are  visually handicapped at a talk event.

This encounter was just amazing.

 

He is working with various types of  disabled poeple. Can you imagine?

Off the top my head, I know a company who saying they helping disabled people

but not like the organaization  he comes from. 

 

His name is Narisawa Shunsuke

Born in Saga Prefecture, 1985. Graduated from Insurance Medical Welfare department at Saitama prefectural university. While suffering form retinitis pigmentosa, established a business in 2009 as “The most cheerful visually-challenged person all over the world”. Travels everywhere in Japan, planning consulting or events regarding the employment of challenged people. Took up a post as chief executive at incorporated non-profit organization, FDA since Dec. 1 in 2011. *2

 

At this talk event, Mr.Narisawa kept saying one thing.

"It's okay. No problem. I am with you."

When he said this phrase, I needed to hold my tears.

 

Thinkinkg back the time, now I kind of know why tears came up.

People ask me "Are you okay?" but don't state positively but he did.

Then I knew how powerful this words "It's okay. No problem. I am with you."

 

I want to he a person who can say this words to people I see...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”優しさ”という名の自己満足

私事ではありますが、最近シェアハウスに引っ越しました。

自然と出会いがやってくること、とても楽しんでいますが、

そんな環境で最近考えることが。

 

それって本当に優しいの? 

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「私は誰かのためにこれをやるんだ」

「これ知ってた方がいいら教えてあげるよ」

的な優しさ、ちょっと待てよ。って思っています。

 

誰かのために頑張ること、全力を尽くすこと

とても素敵だと思うし、いつも悪いとは限らないけれど。

それって、誰かのために自分がなにもしないことが

自分が悪い人になるし、あとから罪悪感に襲われるからやってるんじゃ?

結局自己満じゃない?って思うことがあって。

 

教育においても。

これも知っとくべきで!っていろいろ教えてくれるのはいいけど、

相手の学ぶ力を信じるのも一つの手だよな~。って思ったり。

 

お世話になっている人が言っていました。

「優しいようで優しくない人」がいるって。

本当にそうだなーと。

 

教育?それとも福祉?

 

そして、特別支援の分野で数十年教壇に立たれている方と

お会いしたときのこと。

とても印象に残る質問をされました。

 

「ここに私たちが話す言語がわからない人がいるとして。

あなたは”わからない人がいるから共通言語を話そう”って働きかける人?

それとも、わからない人本人が

”私、わからないんだけど今何を話していたの?”って聞けるように促す?」

 

端的に言うと、

困っている人のためにその周りに働きかける人=福祉的視点

自ら困難な状況を打開できるように困っている人に促す人=教育的視点

かなって。

 

結論、今のところ私の答えはどっちも大事よね?って無難なのですが。

ただ、理想としては

教育的視点:福祉的視点=6:4くらいのバランスでいたいなと。

 

みなさんは、どう思います?

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Happy news! I moved in sharehouse recently.

This gives me lots of opprtunities to meet people from oll over the world!!!!

 

Meeting new people make me think "what true kindness " is.

 

Some say "I dedicate myself to help others" and others say "you need to know this because I know it will help you " but REALLY?

 

Not always but sometimes they help others because they want to feel satisfied with themselves or don't want to feel bad later. Also, some want to share thier knowledge even though they are not aksed to do so.

 

I think we need to think in both educational perspective and walfare aspect.

Walfare aspect would be something like example above. In the meantime, educational perspective is more like encouragment to take action.

 I want to be a person who can think in both side.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はざまを生きること。

久しぶりの更新です。

でも、何を書こうかずっともやもやしていました。

納得いかないときは書かない。

書くことがストレスになってはいけないかななんて。笑

 

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THE はざま

 

実は最近とても面白い?経験をしました。

聴覚障害のある両親と、外国人の彼氏とみんなでご飯。

これぞ、「the はざま」な経験なのかな?と。笑

これぞ、私しか経験できないことなんじゃないかな?と。

手話をもっとできるようになって、

もしかしてアメリカの手話も勉強しちゃったりなんかして・・・

そしたら私は今の何倍以上の人とつながれるんだな~とか。

妄想は膨らむばかりですな。笑

 

話は戻って・・・彼は日本語を話しますが、

ほぼ私が手話⇔英語⇔日本語で通訳をしていました。

(みなさんが思うほど全くスラスラではないです。汗)

他のCODAの人はわからないけれど、

私は手話を使うときには声が出なくなるときがあります。

というか、意識しないとどんどん声が小さくなります。笑

 

だから、周りの人から見たら”凄く異色な人たち”にみえるんだな・・・と。

視線をひしひしと感じるからです。

 

ひしひしと視線を感じながら、私の中では

「しめしめ、これが普通な世界になればいいな。」とか

「うん?私は今何語を話しているんだ?笑」とか考えています。

当然、いつもの何倍も脳みそが疲れます。笑

 

最近テレビでも新聞でも報道がありますが、

とある報道番組でキャスターの方が

「障がいは社会の方にある。」と言っていました。

これを心からそう思う人は何人いるんだろう。。。。

私ができることは本当に小さなことかもしれないけれど、

障がいは個性。っていう人もいるかもしれない。

その考え方は否定はしないけれどでも、障がいは個性なんです!

とかいう必要がないのが(私にとっては)ベストかな

とか思ったり、な一日でした。

 

※事情により、今回の記事は日本語のみです^^

ことばの○○力とその裏側

 

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私は、ことば=○○力だと思っています。

 

例えば、コミュニケーション力。

話ができる相手の幅広さは、操ることができる言語の数や

一つの言語でもどれだけ深い概念について話ができるかに尽きるかと。

 

そして、収集力。

どれだけの情報を得ることができるのか。

それは、人対人かもしれないし、本からかもしれないし、

テレビからかもしれないし、スマフォからかもしれない。

 

さらには影響力。

自分が持つボキャブラリーで信念、考えを

それだけ言語化できるのか。言語化できる分だけ影響力がある。

 

手話の世界では、手話を使うべきでない vs 手話使おうよ

という対立があるようで・・・・

生まれながらにして耳が聞こえない人を、ろう者

聞こえていたことがある人を中途失聴者と区分したりしてて、

手話を使うという前提で話すを進めると、

前者は日本手話を使う割合が、後者は日本語対応手話を使用するのが

やっぱり多い傾向があります。

(日本語手話、日本語対応手話については過去の記事を読んでみてください。)

 

でも、中途失聴者には筆談(のみ)する人が多いらしくて

手話は使わない!ポリシーをもっている方もいて

 

大事なことってそこじゃなくて。

 

だからといって、できるだけ多くの言語を話すべきだとか、

強制するつもりは全くない。

それは、個人の自由だし権利ではあっても義務ではないのかなと。

 

ただ、手話は使わないとか、

手話以外の外国語でも○○語を話す人は傲慢だとか

そういうステレオタイプや意見をもつ前に、

実際に学んだことあるのかな?とか

実際にその言葉話す人とどれだけ接したことありますか?が

私の疑問というか。

じゃないと、なんの説得力もないな~。と。

 

最初にことばには力があると思う!と述べたのも、

ことばには力があるから、

その裏側=なんで?を見ることができないって

すごく怖いことで。

これはいろんなことにつながると思っていて。

 

例えば、裏側をみるということでいくと、

肩書とか歳が上だから(それだけで)

すごい、いうことを聞かないといけない。

これには本当にうんざりします。笑

 

私、本当にそうだな、と思って心がげているんですけど

『暮らしの手帖』の編集長松浦弥太郎さんが

著書「考え方のコツ」に書いているような、

”どんな人にも、いつも礼儀正しく、同じ態度で接する。”

これでいいじゃ~ん、って。笑

 

言語化できること

 

ことばの話に戻ると、こんな感じに自分の芯をもっていて、

それを言語化して伝えることができれば、

違う思想を持っていたとしても、「違いますね~」で

批判もぜず、でも100%合意もぜずいい感じの距離感

保てるんじゃないかな~。って。

 

違う=排他する的思考。

なくなればいいのにって思うけれど、

これも一つの意見として

批判もせず、でも100%合意もぜずいい感じの距離感(笑)を

保とうと思う今日でした。

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Language = power of ○○

What would you put in ○○?

 

Communication-The more languages you speak,

the more people you can talk to.

Even if you only speak one language,

you can have deep discussion

 when you have enough language ability (and also thinkings)

 

Information gathering-you can get more information via book,

smartphone, newspaper, TV also from communication.

 

Influence-you can have effect only if

you can verbalize your faith and ideas, beliefs.

 

There is a conflict among deaf people.

Some say they should use sign language

but others say no. In Japanese,

we distinguish people who were born deaf

as being different from people who lost their hearing abilities

at some point of their lives.

Assume that both sides of deaf people sign, born deaf people tend to use JSL. On the other hand, latter use Signed Japanese.

(Check my other articles to know what JSL and Signed Japanese)

 

What if they don’t use sign languages?

Some late-deafened prefer writing messages only.

 I don’t try to force them to sign and I think everyone has their choices.

However, I don’t like when people have stereotypes

about other languages or countries without contacting or experiencing them.

 

I think language has power and the power is more than we can imagine.

That’s why we need to have ability to think why?

Because language is powerful, we sometimes need to avoid that influence.

To do so, we need to ask ourselves “why?”

 

To think “Why do I need to believe this? ” or “ Why do I like this idea?”,

The key is our beliefs and faiths. Having them make us stronger.

 

Reset and Rebuild.