かごんまおごじょの気ままなblog

果たしてQOLって?

みなさんにとっての

QOL=Quality of Life クオリティ・オブ・ライフ

を高める手段・瞬間ってなんですか?

 

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私はとあるCMをみて、違和感を抱きました。


全国統一小学生テスト2016 CM動画15秒ver

 

完全に私自身のバイアスがかかっていますが・・・

父が仕事人間だった私は、

もしまだ幼いころにお父さんが

「映画をみないか?」といってくれたら

とても嬉しいと思うだろうな~と。

 

でも、学校の成績を上げたいから

その大切な時間を削るのを”偉い”という風潮には

ちょっと違和感を抱きます。

※もし、その子の夢を叶えるために必要なのだとしたらそれは結構。

それは"万人にとっての美学ではない"ことも

知っておく必要があるのではと思いました。

「学歴社会じゃないよ!」と言われだして

何年経っているのか・・・

九州でも東京でもまだ学歴社会なんだなと思う瞬間は多々あります。

 

私に子どもが生まれたら

・お父さんが帰ってくるまでに宿題とか勉強を終わらせる集中力をつける。

・その子にとって、QOLを満たすものが何か?を自分で考えさせる。

かな・・・と思いました。

 

ホリエモンも、著書「99%の会社はいらない」で

どんなことであっても、自分が楽しいと思えること、幸せだと感じることのために仕事をしているのであれば、それはQOLが高い言える。 

と言っています。

 

みなさんは何をすることでQOLが高まりますか?

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What makes your Quality of Life(QOL) better?

One CM in Japan brough up this question.

 


全国統一小学生テスト2016 CM動画15秒ver

I feel uncomfortable because the cm tells people

"it is wonderful that your child focus on study more than time with dad"

 

I would be very happy if my father say "why don't we watch a movie?"

when I was a kid becasuse my father was not home because he works so hard.

So, when I think seriously about QOL,

I don't put my study or work in order of my priority.

 

I live in sharehouse and foreign people visit and stay.

Most of them have job but they have long vacation,

which a very few Japanese people can get.

They also question me "Why Japanese peopel work too much?"

I always answer "because Japanese people have rarely asked what they think

or what they want to do and they think  it is not good

to express thier ideas or opinions" shich is sad but it is still true.

 

This cannot be changed so soon but

I hope more people can choose their own ways to make thier QOL better. 

安心の涙

先日、とても印象的な出会いがありました。

それは、テゲツー!寺子屋のゲストの成澤俊輔との出会いでした。

以下、成澤さんのプロフィールです!

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1985年佐賀県生まれ。網膜色素変性症という視覚を徐々に失う難病を抱えながらも、世界一明るい視覚障がい者として、2009年に独立。障がい者雇用に関する、コンサルティングやイベント企画で全国を飛び回る。2011年12月1日よりNPO法人FDAの事務局長に就任、2014年理事就任。就労困難者に就労に至るまでのトレーニング環境を提供している。一人でも多くの就労困難者を救うために奔走している。*1

 

トークイベントでは、障がい者のかたとどのように働いているのか

成澤さんがどのような志で働かれているのかなどを

お聞かせいただきました。

※内容はオフレコな部分もあるので伏せさせていただきます(汗)

 

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興味がある方は、脚注やテゲツー!寺子屋からとんで調べてみてください。

 

安心して泣くことってあるんだな・・・

 

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トークイベントの間、私は何度も涙をこらえていました。

(実際泣きましたが…笑)

でも、悲しいとかではなく。

 

それは、成澤さんが「大丈夫だよ。」と言い切っていたから。

「大丈夫?」と聞いてくる人は多くいる。

しかも大体が”大丈夫じゃない”という答えは期待していなくて。

 

「大丈夫」って言い切ってくれる人がいること。

こんなに心強く安心できる言葉はないんじゃないかと。

 

就職不安なんです。どうやって生きていけばいいんだろう・・・

そんな風に悩んでいる人たちにとって

「大丈夫?」ではなく、「大丈夫!一緒に頑張ろうぜ!」って言える人は

果たしてどのくらいいるんだろう。

 

ダイバーシティの意味

 

そして、もう一つ印象に残ったことが。

みなさんは、ダイバーシティってどういう意味だと思います?

多様性って訳する人が多いと思うのですが。

 

成澤さんは、ダイバーシティ=比べる相手がいないこと

とおっしゃっていました。

 

私は聞こえる人たちと自分自身(CODA)という立場で

比べることが多いなーと思っています。

成澤さんがいうダイバーシティの意味、

私にはちょっと難しくて、まだ消化しきれていないのですが

私の目指している社会にとても近いのかな?と思います。

 

このような機会をいただけたこと、感謝します!

この記事を読んでくれた方、ぜひテゲツー!も見てみてください^^

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I met a man who are  visually handicapped at a talk event.

This encounter was just amazing.

 

He is working with various types of  disabled poeple. Can you imagine?

Off the top my head, I know a company who saying they helping disabled people

but not like the organaization  he comes from. 

 

His name is Narisawa Shunsuke

Born in Saga Prefecture, 1985. Graduated from Insurance Medical Welfare department at Saitama prefectural university. While suffering form retinitis pigmentosa, established a business in 2009 as “The most cheerful visually-challenged person all over the world”. Travels everywhere in Japan, planning consulting or events regarding the employment of challenged people. Took up a post as chief executive at incorporated non-profit organization, FDA since Dec. 1 in 2011. *2

 

At this talk event, Mr.Narisawa kept saying one thing.

"It's okay. No problem. I am with you."

When he said this phrase, I needed to hold my tears.

 

Thinkinkg back the time, now I kind of know why tears came up.

People ask me "Are you okay?" but don't state positively but he did.

Then I knew how powerful this words "It's okay. No problem. I am with you."

 

I want to he a person who can say this words to people I see...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”優しさ”という名の自己満足

私事ではありますが、最近シェアハウスに引っ越しました。

自然と出会いがやってくること、とても楽しんでいますが、

そんな環境で最近考えることが。

 

それって本当に優しいの? 

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「私は誰かのためにこれをやるんだ」

「これ知ってた方がいいら教えてあげるよ」

的な優しさ、ちょっと待てよ。って思っています。

 

誰かのために頑張ること、全力を尽くすこと

とても素敵だと思うし、いつも悪いとは限らないけれど。

それって、誰かのために自分がなにもしないことが

自分が悪い人になるし、あとから罪悪感に襲われるからやってるんじゃ?

結局自己満じゃない?って思うことがあって。

 

教育においても。

これも知っとくべきで!っていろいろ教えてくれるのはいいけど、

相手の学ぶ力を信じるのも一つの手だよな~。って思ったり。

 

お世話になっている人が言っていました。

「優しいようで優しくない人」がいるって。

本当にそうだなーと。

 

教育?それとも福祉?

 

そして、特別支援の分野で数十年教壇に立たれている方と

お会いしたときのこと。

とても印象に残る質問をされました。

 

「ここに私たちが話す言語がわからない人がいるとして。

あなたは”わからない人がいるから共通言語を話そう”って働きかける人?

それとも、わからない人本人が

”私、わからないんだけど今何を話していたの?”って聞けるように促す?」

 

端的に言うと、

困っている人のためにその周りに働きかける人=福祉的視点

自ら困難な状況を打開できるように困っている人に促す人=教育的視点

かなって。

 

結論、今のところ私の答えはどっちも大事よね?って無難なのですが。

ただ、理想としては

教育的視点:福祉的視点=6:4くらいのバランスでいたいなと。

 

みなさんは、どう思います?

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Happy news! I moved in sharehouse recently.

This gives me lots of opprtunities to meet people from oll over the world!!!!

 

Meeting new people make me think "what true kindness " is.

 

Some say "I dedicate myself to help others" and others say "you need to know this because I know it will help you " but REALLY?

 

Not always but sometimes they help others because they want to feel satisfied with themselves or don't want to feel bad later. Also, some want to share thier knowledge even though they are not aksed to do so.

 

I think we need to think in both educational perspective and walfare aspect.

Walfare aspect would be something like example above. In the meantime, educational perspective is more like encouragment to take action.

 I want to be a person who can think in both side.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はざまを生きること。

久しぶりの更新です。

でも、何を書こうかずっともやもやしていました。

納得いかないときは書かない。

書くことがストレスになってはいけないかななんて。笑

 

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THE はざま

 

実は最近とても面白い?経験をしました。

聴覚障害のある両親と、外国人の彼氏とみんなでご飯。

これぞ、「the はざま」な経験なのかな?と。笑

これぞ、私しか経験できないことなんじゃないかな?と。

手話をもっとできるようになって、

もしかしてアメリカの手話も勉強しちゃったりなんかして・・・

そしたら私は今の何倍以上の人とつながれるんだな~とか。

妄想は膨らむばかりですな。笑

 

話は戻って・・・彼は日本語を話しますが、

ほぼ私が手話⇔英語⇔日本語で通訳をしていました。

(みなさんが思うほど全くスラスラではないです。汗)

他のCODAの人はわからないけれど、

私は手話を使うときには声が出なくなるときがあります。

というか、意識しないとどんどん声が小さくなります。笑

 

だから、周りの人から見たら”凄く異色な人たち”にみえるんだな・・・と。

視線をひしひしと感じるからです。

 

ひしひしと視線を感じながら、私の中では

「しめしめ、これが普通な世界になればいいな。」とか

「うん?私は今何語を話しているんだ?笑」とか考えています。

当然、いつもの何倍も脳みそが疲れます。笑

 

最近テレビでも新聞でも報道がありますが、

とある報道番組でキャスターの方が

「障がいは社会の方にある。」と言っていました。

これを心からそう思う人は何人いるんだろう。。。。

私ができることは本当に小さなことかもしれないけれど、

障がいは個性。っていう人もいるかもしれない。

その考え方は否定はしないけれどでも、障がいは個性なんです!

とかいう必要がないのが(私にとっては)ベストかな

とか思ったり、な一日でした。

 

※事情により、今回の記事は日本語のみです^^

ことばの○○力とその裏側

 

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私は、ことば=○○力だと思っています。

 

例えば、コミュニケーション力。

話ができる相手の幅広さは、操ることができる言語の数や

一つの言語でもどれだけ深い概念について話ができるかに尽きるかと。

 

そして、収集力。

どれだけの情報を得ることができるのか。

それは、人対人かもしれないし、本からかもしれないし、

テレビからかもしれないし、スマフォからかもしれない。

 

さらには影響力。

自分が持つボキャブラリーで信念、考えを

それだけ言語化できるのか。言語化できる分だけ影響力がある。

 

手話の世界では、手話を使うべきでない vs 手話使おうよ

という対立があるようで・・・・

生まれながらにして耳が聞こえない人を、ろう者

聞こえていたことがある人を中途失聴者と区分したりしてて、

手話を使うという前提で話すを進めると、

前者は日本手話を使う割合が、後者は日本語対応手話を使用するのが

やっぱり多い傾向があります。

(日本語手話、日本語対応手話については過去の記事を読んでみてください。)

 

でも、中途失聴者には筆談(のみ)する人が多いらしくて

手話は使わない!ポリシーをもっている方もいて

 

大事なことってそこじゃなくて。

 

だからといって、できるだけ多くの言語を話すべきだとか、

強制するつもりは全くない。

それは、個人の自由だし権利ではあっても義務ではないのかなと。

 

ただ、手話は使わないとか、

手話以外の外国語でも○○語を話す人は傲慢だとか

そういうステレオタイプや意見をもつ前に、

実際に学んだことあるのかな?とか

実際にその言葉話す人とどれだけ接したことありますか?が

私の疑問というか。

じゃないと、なんの説得力もないな~。と。

 

最初にことばには力があると思う!と述べたのも、

ことばには力があるから、

その裏側=なんで?を見ることができないって

すごく怖いことで。

これはいろんなことにつながると思っていて。

 

例えば、裏側をみるということでいくと、

肩書とか歳が上だから(それだけで)

すごい、いうことを聞かないといけない。

これには本当にうんざりします。笑

 

私、本当にそうだな、と思って心がげているんですけど

『暮らしの手帖』の編集長松浦弥太郎さんが

著書「考え方のコツ」に書いているような、

”どんな人にも、いつも礼儀正しく、同じ態度で接する。”

これでいいじゃ~ん、って。笑

 

言語化できること

 

ことばの話に戻ると、こんな感じに自分の芯をもっていて、

それを言語化して伝えることができれば、

違う思想を持っていたとしても、「違いますね~」で

批判もぜず、でも100%合意もぜずいい感じの距離感

保てるんじゃないかな~。って。

 

違う=排他する的思考。

なくなればいいのにって思うけれど、

これも一つの意見として

批判もせず、でも100%合意もぜずいい感じの距離感(笑)を

保とうと思う今日でした。

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Language = power of ○○

What would you put in ○○?

 

Communication-The more languages you speak,

the more people you can talk to.

Even if you only speak one language,

you can have deep discussion

 when you have enough language ability (and also thinkings)

 

Information gathering-you can get more information via book,

smartphone, newspaper, TV also from communication.

 

Influence-you can have effect only if

you can verbalize your faith and ideas, beliefs.

 

There is a conflict among deaf people.

Some say they should use sign language

but others say no. In Japanese,

we distinguish people who were born deaf

as being different from people who lost their hearing abilities

at some point of their lives.

Assume that both sides of deaf people sign, born deaf people tend to use JSL. On the other hand, latter use Signed Japanese.

(Check my other articles to know what JSL and Signed Japanese)

 

What if they don’t use sign languages?

Some late-deafened prefer writing messages only.

 I don’t try to force them to sign and I think everyone has their choices.

However, I don’t like when people have stereotypes

about other languages or countries without contacting or experiencing them.

 

I think language has power and the power is more than we can imagine.

That’s why we need to have ability to think why?

Because language is powerful, we sometimes need to avoid that influence.

To do so, we need to ask ourselves “why?”

 

To think “Why do I need to believe this? ” or “ Why do I like this idea?”,

The key is our beliefs and faiths. Having them make us stronger.

 

英語できるじゃないですか!

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3つめの記事は、今までとテーマを変えて英語について。

 

「私、英語ができなくて・・・」

「どうやったら話せるようになるのかな?」

 

ずばり、どれだけ本気で努力したか?じゃないかなと。笑

ただ、前提として英語ができる基準がそもそも個人で違うと思う。

私の英語ができる=英語で初対面の外国人の人とでも仲良くなれる

ざっくりしているけれど、これでいいんじゃない?って思う。

だから、私よりも文法や語彙を知らなくても、

英語できていいな~って思う人はたくさんいます。

私が妬んで言わないだけです!笑

 

ビジネスとか、翻訳とは専門的な職業につく人は例外かもしれないけれど、

私個人としては、TOEICで満点取りました!よりも

日常的な会話(スラング)を知っている人

めっちゃかっこいいと思います。笑

 

その前提で以下の話は進むので、違うなと思う人は

読まなくてもいいかもしれません。

 

コミュニケーション取れたらOKじゃない?派”

 

全く話せなくても、TOEICとかで満点取る人もいて。

 

でも、そもそも英語って言語だし。

私は”コミュニケーション取れたらOK派”です。

 

だから、私の周りの自称英語苦手な人たちを

客観的に見ていて思うこと。

みんな、英語話せるじゃないですか!」

 

だって、文法が完璧じゃなくても相手の名前、

好きなこととか本気で聞こうと思ったら聞けると思うし。

また会いたいなって、お互いに思いあうことができますよね?

 

公教育からくる弊害?

 

今までの日本人の英語できない説は、公教育の弊害があると思います。

言語を点数化して評価されるし、

スピーキングの力を試せる機会はほぼなかったし。

(テストにかかる時間の問題もあるけど、

学校の先生たちに能力があればもっと授業でスピーキング力を

身に着けることは可能になると思う…)

 

だから、逆にみんなが英語できないっていうのは

適切な感性なのかな?とも思ったり。

(ただ、リーディング・リスニング力で英語力つくから

やらなくていいわけではない。笑)

 

そんないったって・・・

 

そんなこといっても、じゃあスピーキング力

どう身に着けるんだよって話になりそう。笑

※以下は、英語力=ちゃんみか並の英語力って思ってください。

 

一つ思い浮かぶのは、

 

・「○○って英語でなんていう?会」

→え?これってなんていうの?をみんなで議論しあう。笑

先日お邪魔したシェアハウスでこの現状が起こっていて。

 

これで身につく英語力って、

本当に日常で使う表現になると思う!

 

あ。これ、手話バージョンもやりたいな~。笑

 

話はそれましたが・・・・

つまり!みんなこういうべきなんじゃないかな?

「学校の英語のテストとか

TOEICとかはできないけど、

私英語で友達つくることはできるよ~!」笑

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ENGLISH!!!!!!!!

One of the scariest things for Japanese people.lol

 

Lots of my friends ask me how they can improve English skill but wait a min.

I think they can speak English.

It is baecause I really think communicating with people

is the most essencial ability.

 

I admire people who can understand slang

more than they get full point of TOEIC

-which is a test in Japan to measure English ability except speaking.

 

One of the causes that make Japanese people think

they are poor at English is compulsory education system.

 

Because some teachers cannnot comuunicate in English,

how come they can let their students give oppotunities to speak English?

 

Having said that how can we make chances to improve English ability?

Here is just a clue I came up with:"what do you say ○○ in English?"

 Even tought we can rarely see foreign people in here, we can ask each other!

 It is just a babay step, but better than doing nothins and just sitting there. Right?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手話って世界共通?

「手話って世界共通だと思っていた!」という声を

あちこちで聞くので、ここで手話について少し。

 

確かに国際手話というデフリンピックなどで用いられる手話も存在しますが、

日本の手話には、日本手話と日本語対応手話があります。

※さらに細かく分けられる場合もありますが!

 

日本手話=Japanese Sign Language

・日本語とは文法体系が異なり、顔の表情や体の動きなども意味に影響します。

日本語対応手話=Signed Japanese

・日本語の語順に従って手話をします。

と考えてもらえたら、理解しやすいのかな?と思います。

 

私の知る限りでは、アメリカ、韓国も同様なようです。

なので、世界共通ではないのです。

 

なぜかって?

 

じゃあ、日本語が世界共通ってあり得るの?って

話と同じだと私は思っています。

それぞれの土地で、その土地に住む人が発展させてきたことば。

例えば、同じ英語圏でもアメリカ手話とイギリス手話は違うみたいです。

それは、アメリカ手話はフランスの手話から影響を受けているから!

日本語が中国からきた漢字を使っていたのと同じ感覚でしょうか?

 

ただ、例えば、日本語の津波tsunamiのように

国境を越えて理解される手話もあるのですよ!

それは、I love youという手話。

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matome.naver.jp

))

 

もちろんそれぞれの国の違う手話で

「I love you」を伝えることもできます!

 

「その土地の、文化・風土・社会を反映して発達した言語のひとつなのです。」

先日、手話通訳をされている女性の方がおっしゃっていました。

まさにその通りだと思います。

日本の手話には日本の文化やろうの文化が反映されています。

あなた自身の地域、出身が他の地域とまとめられるの

なんか嫌じゃないですか?

 

それぞれの個性があって、同じ日本人でも単一民族なんて

誰が言ったんだ?!って思うほどの多様性がある。

「なに人ですか?」とか、「どこの大学出身ですかではなく、」

目の前にいる人、一人ひとり、

「”あなた”はどんな人ですか?」視点が大事だと思います。

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「Is sign lanaguage universal?」

Some people I met ask this kind of question.

Every time I hear it, I always want to ask,

"What do you think if one day only one spoken language is spoken in the world?"

"What if it is not your mother language?"

 

In Japan, also in Korea and the U.S,

basically,there are 2 mainstream sign language 

1:Japanese Sign Language:

which has its grammar structure, vocabulary and different from Japanse language 

 

2:Signed Japanese:

which is signed as spoken Japanese. 

 

WHY? Why sign language is not universal?

I think  like spoken lanauge, sign language also reflect thier cultures and societies.

Every langauge developed in several places in the world!

For example, French Sign Language influence American sign Language, 

so sign langauge in the U.S is  more similar with French  one than British one.

 

There are some expections and you will understand foreign sign language,

which is "I love you "(picture above)

It is like tsunami  from Japanese isn't it?

People will understand you across the border.

 

Not only deaf people, pepole who hear, 

we all come from different countries or prefectures and different cultures.

No one should be treated in the same way

just beause they come from the same country or they speak the same langauge.

It would be wonderful if everyone try to understand other

not only their countries or university name, but "WHO thay are"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Reset and Rebuild.